フォノグラム(音の図形)

フォノグラム(音の図形)シーズン2nd、3rdを再アップしていきます。12KENや前頭葉ゲシュタルトなど、フォノグラム研究が新たなステージに入るまでの道しるべです。

内臓の後頭葉ゲシュタルト表現がチャクラ

身体の前頭葉ゲシュタルト表現が解剖学的身体です。

 

内観は後頭葉ゲシュタルト認知ですから、その感覚を、前頭葉ゲシュタルトである現代科学で表現するとナンセンスとなります。
内観である後頭葉ゲシュタルト世界を、自然言語で表現したのが宗教であり、前頭葉ゲシュタルトである現代科学で説明しようとした動きが、ニューサイエンスです。

 

この説明で分かるように、前頭葉ゲシュタルト認知世界にとどまり続けて議論しているのが、科学者です。
だから、その世界の外に出てしまうような研究は選びません。
ナンセンスになってしまうからです。

 

前頭葉ゲシュタルト世界を飛び出し、後頭葉ゲシュタルト世界のことを科学的に表現することは、
これまたゲシュタルト表現が異なるため、おかしくなってしまいます。

これが、内在科学がいつまでも進歩できない根本原因です。

 

現代科学の体を成すには、いくつかの条件が必要です。

実証可能性

記述可能性

などです。

 

実証可能とは、再現可能な実験により確認できるといううことです。

記述可能性とは、極端に言ってしまえば数学で記述できるということです。

真偽の証明が可能な表現フォームに落とし込むことです。

これらはみな、4次元時空マトリクスである電磁現象内の話ですので、前頭葉ゲシュタルト表現です。

 

新しい科学とは何でしょうか?

後頭葉ゲシュタルト世界における認知とともに、その表現法を確立することです。

それは、客観性とともに再現性がなくてはなりませんが、観測概念が変わります。

内観は後頭葉ゲシュタルトなので、電磁観測とは根本的に異なる観測であることに注意です。

 

フォノグラムは量的計測、および、客観性(共同主観)が可能であり、
対称性の言葉で表現可能であることから数学表現が可能です。
ただし、音を観ているという、すでに前頭葉ゲシュタルトではありえない現象を扱うため、
外在のアナロジーではうまくいかないことに注意です。

 

しかし、ここで、

光を見る

音を聞く

の、音と光の入れ替えに対して、不変な現象とはなにか??

というような考え方は、素粒子物理の対称性の議論と何ら変わりはありません。

つまり、後頭葉ゲシュタルト世界においても、対称性を記述する群論は有効ということが言えるのではないかと思います。

 

我々人間は、前頭葉ゲシュタルトと同時に後頭葉ゲシュタルトの重なった状態で、生きているのが常です。
いくら科学原理主義者であっても、お腹が空いてきたことを、内観を通して理解するはずですし、
うんこするときも前頭葉で解析した結果、うんこするわけではありません。

すると、これをごちゃまぜにしたゲシュタルト表現を普段使うことになります。

日常言語ってそんな感じじゃないでしょうか?

これが自然な表現なのです。

 

この普通の状態において、ゲシュタルト次元階層のどの辺にいるかによって、
そのひとの意識状態、およびパーソナリティーが決まります。

ゲシュタルト次元階層の極を、

地球とアルザル

と考えたとき、
地球とは前頭葉ゲシュタルト次元と、その表現世界のことであり、
アルザルとは後頭葉ゲシュタルト次元と、その表現世界のことです。

この間に無数のゲシュタルト次元があり、地球とアルザルの中間領域ももちろんあります。

 

チャクラとは何か?

これを前頭葉ゲシュタルト表現の中に見出すことはできないが、位置の対応は可能な概念です。

つまり、チャクラの概念は、アルザルと地球の中間地点の概念であり、前頭葉ゲシュタルト後頭葉ゲシュタルトの混じった表現なのです。
入定すれば、チャクラも身体概念も共に消え去ります。

 

この前頭葉ゲシュタルト表現と後頭葉ゲシュタルト表現は相対的な関係にあり、また、シーソーのような関係でもあります。

ここをうまく詰めることが出来れば、しっかりとした新しい科学になるはずです。

 

新しい科学とは、後頭葉ゲシュタルト認知、および、その表現法の創出といっていいと思います。

12KEN、等音面理論、フォノグラムはそれらのための研究の第一歩なのです。