フォノグラム(音の図形)

フォノグラム(音の図形)シーズン2nd、3rdを再アップしていきます。12KENや前頭葉ゲシュタルトなど、フォノグラム研究が新たなステージに入るまでの道しるべです。

病名はたくさんあるけど健康は一つしかない

 

病名は人の数だけ存在するんじゃないかと思います。
同じ病名をつけられたとしても全く同じじゃないですから、病名で人をラベリングしたら精神的な傾向との関連性が見えてくると思います。

 

私はよく、3種の精神病で人の特性をラベリングしています。

 

てんかんタイプ
躁鬱タイプ
分裂タイプ

 

私はてんかんと躁鬱の中間です。
私のお母んは完全なてんかんタイプです。

 

歴史的な偉人としては、


織田信長とかてんかんタイプ
釈迦は躁鬱
エスは分裂タイプ

 

とみています。

このラベリング自体に意味はありませんが、要はフォノグラムの崩れ方が人それぞれ違うということなのです。

 

表題にあります「病名はたくさんあるけど健康は一つしかない」という意味は、病名(前頭葉自我、個性、アートマ)はたくさんあるけれど、健康(身体知、叡智、ブラフマー)は一つしかないということです。

アートマやブラフマンの概念は確かバラモン教が由来のようだったと思いますが、アートマなんてないといった初めての人が釈迦です。(間違ってたらすいません。うるおぼえですが、真意は伝わるはずです。)

つまり、この世の私も、あの世の人型をした霊も、守護天使も、釈迦に言わせればみなアートマなのです。

 

人間は死後、肉体を捨てた後も、フォノグラム情報は保持します。

おそらくですが、宗教などで言っている神界、霊界、幽界などの概念は、脳の共鳴状態に対応したフォノグラム情報のことを言っているのだと思います。

それは、前頭葉ゲシュタルト表現である解剖学で考えれば、全ての臓器に対応する後頭葉ゲシュタルト表現が存在するはずです。

つまり、霊界や幽界などのアートマは前頭葉脳磁界の後頭葉ゲシュタルト表現なのだと思います。

 

さて、フォノグラム図形は前頭葉が働いているうちは、人の数だけ崩れ方が存在しています。

私とあなたが出会うことが出来るこの物理的時空間では、必ず前頭葉が働いていなくてはなりません。
なので、渦巻きフォノグラムがなければ、個性も身体も持ちえません。

 

しかし、どんな人も、音響対称性を高くするように、フォノグラムを調整していきますと、みな同じところにフォノグラム図形が収束していきます。
まるで曼荼羅図形のようなフォノグラムになっていきます。

私たちがもともと居たであろう場所です。
これが健康の本当の意味です。

そして、前頭葉脳磁界が見せるこのリアルで手ごたえのある3次元時空を楽しむことが出来る代わりに、生老病死も免れないということなのです。

 

私たちはなんと面白く、そして美しい世界に生きているのでしょうか!

この世にこうして生を受け、そして出会えることができるのが、どれほどの奇跡なのかが解るはずです。

今日も、今しかない一瞬を抱きしめ、我が生に没頭したく思います。

数学とは何か?ーそれは前頭葉ゲシュタルト表現である

 

長年数学を研究してきたのですが、数学そのものというよりも、数学とは何なのか?ということを研究してきたのだと思います。

ガリレイが、自然は数学という言葉で描かれているといった時、それは、「前頭葉ゲシュタルト認知である物理世界は、前頭葉ゲシュタルト表現である数学によって描かれている」という意味で言っているのだと思います。

 

数学の不思議な側面の一つに、物理的観測がまだなされてないにもかかわらず、その法則を書き記すための数学が用意されているということがあります。

 

数学のほうが物理よりも先にあるのです。
観念のほうが現象よりも先にあるということです。

 

しかし、前頭葉ゲシュタルト認知である物理宇宙も、脳磁界が見せる電磁マトリクスでありますから、数学と物理が同じフレーム内のことであることが解ります。

数学も物理も、線形時間、電磁的3Dあってのことなのです。

 

しかし、この前頭葉ゲシュタルト認知が壊れ始める境界線が、数学にも物理にもあります。

物理学では量子力学、数学ではフラクタルです。

両者とも、部分と全体という前頭葉ゲシュタルトが破壊されます。
後頭葉ゲシュタルト認知であるフォノグラムは、この部分と全体が常に一体となる認知であり、むしろ普通になります。

数学や物理学の適応限界は、前頭葉ゲシュタルトが破壊されたその時です。

 

学問の一つの完成とは、その適応限界を知ることにあると思います。

そういう意味において、数学とは何か?
という問いに一つの答えを与えたことになるかもしれません。

 

しかし、依然として謎は残ります。

前頭葉ゲシュタルトは、線形時間を生みだしますから、無限大や無限小の概念を生み出します。

それに対して、後頭葉ゲシュタルトでは、常に部分と全体が一体です。

 

無限大や無限小の概念は前頭葉ゲシュタルトが崩壊していないからこそ成り立つ性質なのです。

そして、整数という線形無限時間で生成される集合における、驚くべき特徴。

素数には何の規則性も見出すことはできないという事実は、前頭葉ゲシュタルト世界のリミッターを表現しているのだと思います。

やはり、リーマン予想のような問題が解かれた時に、こういった事実が理解されるのだと思います。

前頭葉ゲシュタルト表現である数論と、後頭葉ゲシュタルト表現であるフォノグラムそれらは、確かに23.46・・・次元トンネルを通して、連続的に繋がっているようであります。

 

数学とは何か?
まだ半分です。

後頭葉ゲシュタルトから観た栄養学

最近はあまりしませんが私はよく長期の断食をしていました。
3週間は必ずやります。
長い時は2か月以上。

何でも自分で体験しないとわかった気になれないので、人体実験をしていた頃です。

 

そんな時なんですが、気のせいか、森林の中に入っていくと体重が増えたような・・・。
または体が膨らんでいくような気がしたのです。
 
実際、かすみ(プラーナ気)をエーテル体から吸収しに行ったのです。

同じように、スーパーの食品売り場に出掛けては、鮮度のよさそうな野菜や果物を触りに行きます。
触っただけなので窃盗罪にはなりませんが、プラーナ気を吸い上げに行きました。

霊がお供え物に触ってまずくなるのと同じで、その時私の触った野菜を買った人はまずいと思ったかもしれません。

 

物質的な見た目は変わらないのに、フォノグラムは全然違います。
前頭葉ゲシュタルトで見た野菜や果物は同じですが、後頭葉ゲシュタルトであるフォノグラムで観ると、確実に違うものだとわかります。

生体内にあるいろいろな有機化合物も、実は前頭葉ゲシュタルトで見れば、化学式としては同じであっても、体内にある時は全く別の組成であると思います。
体内の認知においては後頭葉ゲシュタルトで見ていかなければ嘘ですから、どんな生体内の有機化合物も、前頭葉ゲシュタルトにおける化学式以上の意味があるのです。
従って、加工品や添加物、ケミカルなものがいくら化学的には組成が同じであっても全く意味が違うのです。

 

これが今の前頭葉ゲシュタルト科学の限界なのです。
後頭葉ゲシュタルトにおける知恵は、民間療法として世界各地に伝承されています。
インドのアユルベーダ、東洋医学、アヤラスカ、などなどです。

そしてフォノグラムは、後頭葉ゲシュタルト世界を本当の科学にするための、新しい言語(音の図形)です。

 

スパイスを後頭葉ゲシュタルト認知であるフォノグラムから観た世界です。

 

漢方などの真実を解明するには、フォノグラムを調べればいいということです。

いにしえの知恵は、残念ながら現在、前頭葉ゲシュタルトによる観念化が進み、真意が隠れてしまっているのではないでしょうか?

 

万人に効く薬や療法などないのです。
なぜならば、人それぞれ共鳴体として、どれ一つ同じものがないからです。

しかし、後頭葉ゲシュタルト認知が可能になれば、誰でも簡単に、どの症状にどのようなものが必要なのかわかるようになります。

自分に必要なものもも自然と解ります。
本来の自分に戻りさえすれば、全ては至極簡単になっていきます。

 

一体何が難しくさせているのでしょうか??

3D物理空間とフォノグラム空間

 

フォノグラムは3次元物理空間をはみ出してしまっている情報空間です。

ですので、物理的な形状の外側にもフォノグラム空間は広がっています。

 

私たちは日常、無意識に、この見えない情報を受け取り生活をしています。
が、ほとんどの人は自覚的に意識に上げることが出来ない状況に置かれています。

前頭葉ゲシュタルトのことです。

物理的宇宙や、それを記述する現代科学は、前頭葉が見せている電磁的宇宙です。
この3次元空間や物理的時間すら前頭葉ゲシュタルトの電磁気的現象の結果に過ぎないのです。
結果に過ぎない物理法則から生命や意識を解明できないのは、当たり前といえば当たり前です。

 

フォノグラムによるヴァイオリン制作法は、物理的な次元であるヴァイオリンの形状を、フォノグラム空間による認知と、その情報を基にした高次のコントロールによって削り出す方法です。

 

そういう意味におきまして、ヴァイオリン研究は、精神と物質、そして魔法(?)が同居する大変面白い研究対象なのです。

 

これは、我々の意識と身体そのものにも当てはまります。
東洋医学の経絡などの情報は、フォノグラム空間における、3D物理情報がはみ出している情報であり、これらもまたその部分空間である物理学に還元できないものです。

 

私の研究は、前頭葉ゲシュタルトに限定されて発展してきた科学を、なんとか後頭葉ゲシュタルトにおける宇宙に拡張していく試みです。
これを可能にするのは、ヴァイオリンにおけるフォノグラム研究以外にはあり得ないと思っています。

 

人体におけるフォノグラム研究では、どうしても体感に依拠するしか今のところなく、それは古来より宗教や神秘思想が扱ってきました。
しかし、ヴァイオリンにおける音と形の関連性における研究ならば、再現可能な測定が可能となり、3D物理空間とフォノグラム空間の関係を明らかにすることが出来ます。
再現可能な実証が可能ということです。
 すでに等音面における物理的実証、および、それに伴う技術的特許を取得してあります。

 

前頭葉ゲシュタルトである3D物理空間と後頭葉ゲシュタルトであるフォノグラム空間の関係について少し説明してみたいと思います。

 

ヴァイオリンを整形していくときに、外枠を音で合わせ、等音線で囲みますと、その内部のカーブなど自動的に決まってしまいます。
音で削っていきますと、ここに個性の入る余地などなく、誰がやっても同じになります。

もしも、外枠を等音ラインで枠出ししておかないと、内部の音列を聴きとるのが大変複雑な処理に代わってしまいます。
つまり、外枠のフォノグラムをまず揃えておくことで、余計なパラメータを減らしておくのです。

 

*3Dとフォノグラム空間の関連性において

重要な性質の一つに、直交する平面上のフォノグラムは、独立であるというものがあります。

(ここ、まだうまく説明できていません。あいまいないい加減な表現になりますが赦してください。そのうち、もっとシャープな表現ができると思います。)

 

外枠は、ヴァイオリン面に対して直交しています。
外枠を等音ラインで囲むことにより、フォノグラム空間における3Dの疑似的な境界条件を構成します。

この疑似的境界を構成できますと、ヴァイオリン面のフォノグラム情報が格段に単純になります。

この直交する面は全部で3面あります。

フォノグラムとは、1点における情報空間を調べたものですから、微分操作に似ています。
その情報を接続していく過程は、まるで解析接続そのものです。

 


しばらく、これについて考察を進めていきたいと思います。

 

その2につづく

フォノグラムはバイオリンの後頭葉ゲシュタルト表現

※スルーしてください。

でも、だいぶ説明が解りやすく進化していると思います。

私は、何回も同じようなことを繰り返し考えながら、表現を精錬していくタイプです。

自分が納得するまでこの作業は続きます。

自分が納得するというのは、全人類の代表として納得できるか?ということです。

これは、良心に対する誠実さの問題です。

面白みのない愚鈍な牛のようですが、私はこういう道以外歩むことが出来ないようです。

 

 

右側は目で見るヴァイオリン、前頭葉ゲシュタルト表現なので、物理的な形状、空間曲率など、計測可能な外在物として認知できます。

左側は、耳で観るフォノグラム、後頭葉ゲシュタルト表現なので、これ自体の計測は不可能です。

認知自体が異なるため、その表現形式や法則も、ゲシュタルト階層別に存在しています。

 

私のヴァイオリン制作技術は、後頭葉ゲシュタルトであるフォノグラムを使って、いわば前頭葉ゲシュタルト世界であるこの宇宙から、別宇宙に移動した状況で形状を操作し、そしてその宇宙から、元の宇宙に戻った時の結果を計算しながら、削っているのです。

 

これは、数学における圏の概念とは、少し違います。

圏は、同一ゲシュタルト内の宇宙の移動のことです。

同一ゲシュタルトといっても、それ自体幅があります。

解析とか代数とか幾何学とか、少しずつゲシュタルトが異なりますが、それでも音を観るというような、ゲシュタルト階層ではないです。

 

この後頭葉ゲシュタルト表現であるフォノグラムを、以下のようになるように削っていきます。

 

 

すると前頭葉ゲシュタルトである物理形状は、標準寸法といわれる形状に収束していきます。

 

 

※パイン集成材でも音で創るとちゃんとなります。
最近の木材はさすがにパサパサなので楽器としてはきついかな~

練習用にはいいです。

 

人間も全く同じです。

身体の後頭葉ゲシュタルト表現が人間のフォノグラムです。

経絡や経穴の真の姿がフォノグラムなのです。

なので、目に見える訳がなく、もしも前頭葉ゲシュタルトに対応した説明がなされていたら、それは嘘です。

 

この嘘は二通りの意味があります。

一つは表現としての嘘、こちらは嘘というよりも方便です。

 

もう一つは、本当の嘘。

わかっていないからそう言っているという意味です。

 

このゲシュタルト階層は、連続的に移行します。

それは、脳や身体の共鳴の仕方の連続的変化とも言えます。

その様子を量概念として記述する方法が、フォノグラムの図形変化です。

 

木材が楽器になってく過程と、前頭葉共鳴から後頭葉共鳴に移行するメカニズムが、フォノグラムの図形変化の観点からは、全く同じように振舞います。

これが新しい科学です。

 

新しい科学とは、ゲシュタルト階層同士を結ぶ、言語の開発とその間の変換法則を、見つけていくことです。

したがって、既存の数学や物理学の中に見つけることは不可能です。

既存の物理学は、前頭葉ゲシュタルトに限定した表現形式だからです。

 

わたしは、等音面の理論を書いた時、

 

純数学的にバイオリンの形状曲率を決定できるか?

 

という問題が残りました。

これが可能かどうか吟味している過程で、ライプニッツ級数などのπがらみの級数に、着目しました。

 

「πという空間における定数が無限級数によって表される」というこの表示は、「音列を増やしていった極限がバイオリンの形状を決める」という状態に、酷似しているからです。

 

しかし、内心、出来ないともわかっていました。

23.46・・・をくぐった後頭葉ゲシュタルトと、23.46・・・が存在する前頭葉ゲシュタルトの次元の行ったり来たりを表現する力が、現存の数学にはないと思われたからです。

 

そこで12KEN理論を考えるに至りました。

それでもやはり、バイオリンの曲率を純数学的に導くことはできません。

これは、むしろ、認知を含めた物理定数なのだと思います。

 

そして、πや自然対数eは、前頭葉ゲシュタルトにおける数学や、物理を決めている基本パタメータということが出来ます。

もしも、πとは値が異なる理論構成が出来たとしたら、それは別のゲシュタルト宇宙にいることを示します。

 

23.46・・・をくぐった後頭葉ゲシュタルト宇宙における数学には、無理数という概念は出てきません。

πという概念も、作りようがないのです。

その代わりに、純正5度圏でオクターブで閉じるという、前頭葉ゲシュタルトでは起こりえない現象が起きます。

 

こういったことをすべて精密に書き記す方法を開発することこそ、新しい数学?(それはもはや数学ではない)です。

それは、フォノグラムをそのまま解釈入れずに、認めてしまう事でもあります。

 

解釈は所詮、前頭葉ゲシュタルトに過ぎないのですから・・・

 

前頭葉ゲシュタルトとAI

 

 

数学や物理学であっても、前頭葉ゲシュタルト内で自己充足しているのかどうか?を考えてみたいと思います。

これは、AI が物理学や数学の問題を解けるかどうか?ということに繋がります。

 

ゲーデル不完全性定理というものがあります。

数学の命題においてさえも、決定不可能な命題があるという定理です。

 

クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った。

 

という命題に対して、クレタ人は嘘つきだとも、正直だともいえないということを、言っています。

これをコンピュータが行うと、無限に演算し続けて停止しなくなりますから、答を出すことが出来ないということになります。

チューリングの停止問題です。

 

実はこの矛盾を人間は、前頭葉ゲシュタルトを抜けることによって、理解しているのです。

その状況を、非言語的な自己が俯瞰しています。

これは、身体的な後頭葉ゲシュタルトなのです。

これがAIにはできません。

これがAIの限界であることに気が付くと、強いAIなどありえないということがわかります。

 

※もし科学が凄く進歩して、バイオ素子のコンピュータが出来たとしたら、身体を持ったコンピュータというのも可能かもしれませんが、きっとそれは、人間ということになるはずです。

 

そして、この事実に気が付きますと、後頭葉ゲシュタルトの入り口が、前頭葉ゲシュタルトの俯瞰であることがわかってきます。

これは、睡眠のことです。

また、意識を保ったまま睡眠することを内観といい、禅の世界に入っていきます。

 

結局何が言いたいのかといいますと、前頭葉ゲシュタルト表現である数学や物理学でさえも、後頭葉ゲシュタルト認知がないとできないということなのです。

形式的理解と本質的理解という言葉がありますが、前者はAI的な理解(前頭葉だけで理解)するということです。
 
後者は腑に落とす理解のことで、身体全体で分かったということ。
外在宇宙も内在宇宙も、全ては意識を隔てて繋がっているため、解るという体験は、全宇宙が共鳴状態になった瞬間のことを言っているのだと思います。
これがアハ体験です。
 
だから、深い真理に対する理解というものは、至福とともにやってくるので、それが正しいかどうかが、誰の確認もなくわかるように人間は創られています。
自分の中の全ての答えがはじめから内蔵されているといっても、過言ではありません。

叡智は後頭葉ゲシュタルト認知からしか起きえない、ということです。

 

昨今巷で言われている人類のタテワケについてですが、これは、前頭葉的AI人間と身体的後頭葉人間のタテワケのことを指しています。

 

観察は次元をこえる

細胞について考えてみます。

というよりも、細胞について観察するといいうことを考えてみます。

 

 

細胞を観察するという行為は、前頭葉ゲシュタルトを介した電磁干渉による認知です。

では、細胞は内観できるでしょうか?

 

そもそも細胞という概念は、電子顕微鏡があって初めて、認知されました。

確かに、外在には存在しているのであるから、内観できるはずです。

 

細胞の後頭葉ゲシュタルト表現は、なんでしょうか?

この問いは、宇宙の果てを外在観測することと同じなのかもしれません。

 

また、細胞内には複雑な構造が見て取れます。

これに対応する後頭葉ゲシュタルトは、一体何にあたるのでしょうか?

 

ここで、もう一度、観測行為というもの自体を考えて見ます。

 

観測行為自体、次元転換をしているのではないでしょうか?

 

次元転換というよりも、同一次元への繰り込み?情報の押しつぶし?

 

どういう表現を取っていいのかまだわかりませんが、電磁干渉の畳み込みにっよって見ている世界が外在観測なのです。

 

科学が進歩するということは、観測装置が進歩するということです。

その観測装置は、必ず電磁現象による観測に還元されますから、現代科学が精密に観測すればするほど、リアリティーの電磁干渉の繰り込みを見ていることになります。

そうして電子顕微鏡で見つけら細胞とは、一体何なんでしょうか?

 

もちろん、電波望遠鏡でみた宇宙のはても同じです。

これは、私の妄想、しかし確信的!

なのですが、宇宙の果ては細胞そのものを次元繰り込みした、前頭葉ゲシュタルト表現なのです。

 

では、なぜ物理学においては、素粒子が基本単位になるのか?

これは、前頭葉ゲシュタルトを構成している基本単位だからです。

 

つまり、素粒子は宇宙を構成する基本単位ではなく、前頭葉ゲシュタルト宇宙という限定された宇宙の基本単位に過ぎないということです。

では、内観による観測行為は、一体何なのか?

 

これは、次元の押しつぶしをせずに、直接観測可能にします。

それを一般的に体感といいますが、今のところ、そういう風にしか言えないのかもしれません。

 

このことを、外在ゲシュタルトで無理やり表現すると、次元上昇という言葉が出てきてしまいます。

しかし、単純に前頭葉ゲシュタルトのくびきから解放され、後頭葉ゲシュタルトをも含んだ宇宙認知に移行するというだけです。

だからと言って、何かが劇的に変わるかというと、何も変わりません。

 

元の木阿弥・・・