前頭葉ゲシュタルトとAI
数学や物理学であっても、前頭葉ゲシュタルト内で自己充足しているのかどうか?を考えてみたいと思います。
これは、AI が物理学や数学の問題を解けるかどうか?ということに繋がります。
数学の命題においてさえも、決定不可能な命題があるという定理です。
という命題に対して、クレタ人は嘘つきだとも、正直だともいえないということを、言っています。
これをコンピュータが行うと、無限に演算し続けて停止しなくなりますから、答を出すことが出来ないということになります。
チューリングの停止問題です。
実はこの矛盾を人間は、前頭葉ゲシュタルトを抜けることによって、理解しているのです。
その状況を、非言語的な自己が俯瞰しています。
これがAIにはできません。
これがAIの限界であることに気が付くと、強いAIなどありえないということがわかります。
※もし科学が凄く進歩して、バイオ素子のコンピュータが出来たとしたら、身体を持ったコンピュータというのも可能かもしれませんが、きっとそれは、人間ということになるはずです。
そして、この事実に気が付きますと、後頭葉ゲシュタルトの入り口が、前頭葉ゲシュタルトの俯瞰であることがわかってきます。
これは、睡眠のことです。
また、意識を保ったまま睡眠することを内観といい、禅の世界に入っていきます。
結局何が言いたいのかといいますと、前頭葉ゲシュタルト表現である数学や物理学でさえも、後頭葉ゲシュタルト認知がないとできないということなのです。
叡智は後頭葉ゲシュタルト認知からしか起きえない、ということです。
昨今巷で言われている人類のタテワケについてですが、これは、前頭葉的AI人間と身体的後頭葉人間のタテワケのことを指しています。