数学とは何か?ーそれは前頭葉ゲシュタルト表現である
長年数学を研究してきたのですが、数学そのものというよりも、数学とは何なのか?ということを研究してきたのだと思います。
ガリレイが、自然は数学という言葉で描かれているといった時、それは、「前頭葉ゲシュタルト認知である物理世界は、前頭葉ゲシュタルト表現である数学によって描かれている」という意味で言っているのだと思います。
数学の不思議な側面の一つに、物理的観測がまだなされてないにもかかわらず、その法則を書き記すための数学が用意されているということがあります。
数学のほうが物理よりも先にあるのです。
観念のほうが現象よりも先にあるということです。
しかし、前頭葉ゲシュタルト認知である物理宇宙も、脳磁界が見せる電磁マトリクスでありますから、数学と物理が同じフレーム内のことであることが解ります。
数学も物理も、線形時間、電磁的3Dあってのことなのです。
しかし、この前頭葉ゲシュタルト認知が壊れ始める境界線が、数学にも物理にもあります。
両者とも、部分と全体という前頭葉ゲシュタルトが破壊されます。
後頭葉ゲシュタルト認知であるフォノグラムは、この部分と全体が常に一体となる認知であり、むしろ普通になります。
数学や物理学の適応限界は、前頭葉ゲシュタルトが破壊されたその時です。
学問の一つの完成とは、その適応限界を知ることにあると思います。
そういう意味において、数学とは何か?
という問いに一つの答えを与えたことになるかもしれません。
しかし、依然として謎は残ります。
前頭葉ゲシュタルトは、線形時間を生みだしますから、無限大や無限小の概念を生み出します。
それに対して、後頭葉ゲシュタルトでは、常に部分と全体が一体です。
無限大や無限小の概念は前頭葉ゲシュタルトが崩壊していないからこそ成り立つ性質なのです。
そして、整数という線形無限時間で生成される集合における、驚くべき特徴。
素数には何の規則性も見出すことはできないという事実は、前頭葉ゲシュタルト世界のリミッターを表現しているのだと思います。
やはり、リーマン予想のような問題が解かれた時に、こういった事実が理解されるのだと思います。
前頭葉ゲシュタルト表現である数論と、後頭葉ゲシュタルト表現であるフォノグラムそれらは、確かに23.46・・・次元トンネルを通して、連続的に繋がっているようであります。
数学とは何か?
まだ半分です。