生まれたときの記憶
もし、胎児のときの記憶が、前頭葉ゲシュタルト表現であるならば、それは妄想ということになります。
ふつう、人はこれに慣れ親しんでいます。
ですから、生まれたときの記憶をこのイメージに結びつけるため、解剖学的な子宮の中に、胎児である自分がいるイメージを抱きやすいということです。
しかし、胎児がそんな外在イメージを持っているわけはないのです。
もし、そういうイメージを持っていたとしたら、魂が外から自分の体を見ており、そしてどっかのタイミングで、受肉したことになります。
※しかし、この前頭葉ゲシュタルトイメージの死後への持越しこそが幽界であり、
アートマ(個我、幽霊)です。
だから、幽霊は電磁機械と干渉することが出来ます。
つまり、神様のもと(ブラフマー)から来たのではないということになってしまいます。
ひょっとしたらこのことを輪廻転生というのかもしれません。
生まれたときの記憶というのは、やはり、ただの感覚(サマディー)のことです。
そこに何かのイメージがあったら、それは妄想です。
ここをごちゃごちゃにしたのが、スピリチュアルの世界です。
前頭葉ゲシュタルトを、死後も持ち越してしまった電磁世界が、幽界です。
前頭葉ゲシュタルトは、フォノグラムで言えば、渦巻きフォノグラムです。
釈迦がアートマ存在(個我)を明確に否定した理由がわかります。
全ての人型をした神々は、前頭葉ゲシュタルトである観念妄想であることが、結論されます。
もちろん、この4次元時空宇宙も妄想ということになりうのでしょうが、そのくらい霊的世界も、リアルな妄想世界なのだと思います。